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「生き詰った時」

  • kakiholoholo
  • 2024年2月18日
  • 読了時間: 4分

生き詰った時、どう対処するかに、かかっている。



死にたくなった時、どう対処するかに、かかっている。



生きるか、死ぬか、一瞬の判断。



全ては、そこ。



インスタは、濃い内容を書いても、敷居が高くないのが良い。



これが、お寺に悩み事相談に行くとなると、敷居が高くなる。



顔を合わせないで、話すことは大事。



僕が書いているのは、最後の最後に、明源寺があって良かった活動。



何かあれば、全力で受け止める活動。



僕自身の心は、幼い時に壊れた。



壊れた心は、壊れたまま。



今でも、痛いまま。



でも、本質を知れば、それをも、受け止められている。



「死にたい」咄嗟の衝動が起きても、それをも受け止める。



毎日が、その確認。



毎日が、涸れない確認。



いつも死にたい心は、ある。



どろどろの重たい心。



癒えない心の傷。



ある時、隣の子供が遊びに来て、仲良くなった。



その時、「こんな死にかけの自分でも、よろこんで遊んでくれるんだ」と思った。



たまたま、犬を拾った。



全面的に信頼してくれた。



「こんな自分でも良いんだ」



それから、いろんな人の笑顔が見られたら、自分も嬉しくなった。



自分の笑顔も増えた気がした。



困っている人が居れば、ノーとは言わなかった。



全てが、相手に応じたボランティア。



全てが、受容。



いつの間にか、自分の我(が)がない受け止め。



我(が)のカドが取れて来た。



いつの間にか、少しでも多くの人が幸せでありますように。



誰もが、否定の無い生き方が出来ますように。



そこから始まっての宗教活動。



お寺活動で、儲けようとは思わない。



内緒だが、永代供養は2万。



墓終いの時、何人いても、2万。



院号法名も、タダ。



それらは、仏教本来のあり方でないから。



お寺のお金儲けの手段だから。



生活に困っている方の葬儀は、5万から1万。



僕が引き受けている方は、大抵、お金に困っている方。



よそのお寺で、断られた方。



僕が受けるのは、無条件。



無宗教の方でも。



門徒になれとの、条件なし。



宗教でお金儲けをしようとは思わない。



将来への心配は、大脳。



お金の心配は、大脳。



宗教活動は、大脳判断の無い、本質からの活動。



優劣・多少・上下・勝ち負け・出来る出来ない・立派・出世・権力・導く・頑張れ・努力・気合いだは、大脳の世界。



「これは、大脳のはたらきだな」と知れば、大脳のはたらきを客観的に見て、手放す、「思い分け」。



大脳のはたらきを大脳のはたらきだと知れば、大脳のはたらきに操られないもの。



大脳のはたらきを大脳のはたらきだと知れば、落ちる世界があるもの。



それが本質。



ダマシを、ダマシと知れば、ダマされないもの。



それが、本質を知った智慧。



落ちた世界は、静かなもの。



静かな世界は、法則・道理・調和・永遠・明らか・清らか・自由・のびのび・イキイキ・愛・思いやり・誰もが幸せでありますように。



落ちた世界は、誰にでも当てはまる無条件。



例外の無い本質。



落ちた世界が、判断なく、その場、その時、適切する無意識。自在。



私たちが落ちるのは、奇妙な世界に落ちるのではない。



当たり前の、「今・ここ」。



私たちが落ちるのは、特別な世界でもない普遍。



国境の無い普遍。



宗派宗教の隔たりの無い本質。



私たちが落ちるのは、思い描きの無い世界。



そこへ落ちるのに、特別な奥義も、秘儀も無い。



大脳のはたらきを、「大脳のはたらきだな」と知ること。



大脳の操りを、「大脳の操りだな」と知ること。



ダマシを、ダマシと知れば、ダマされないもの。



教祖の意図を、教祖の意図だと知れば、教祖の意図から離れられるもの。



執われを、執われと知れば、執われからの、解き放ち。



私たちの世界は、だいたい、3層に分けることが出来る。



1番表層が、社会・外見・お金・生活・世間・国・民族。



それを判断しているのが2層目の大脳のはたらき。



負けるな・より多く・頑張れ・立派になれ・努力しろ・やれば出来る・上を目指せ・役に立て・将来も安泰になれ。



それにつまづくと、パニック・生き詰まり・適応障害・死にたい・死んで楽になりたい。



それを根底から受け止めるのが本質の第3層。



また、そういう構造を知ることも、生き詰まりからの解き放ち。



表面が生き詰っても、本質は生き詰っていないもの。



その都度、その都度、本質からの受け止め。



いつの間にか、大丈夫。



宗教は、本質からの受け止め。



日々の、確認。



淡々とした、日常。



思い描きからの、解き放ち。



「心配しなくても大丈夫なんだ」の、積み重ね。



大丈夫な実感の、積み重ね。



一歩・一歩。



いつの間にか、自由。



のびのび。


ree

 
 
 

コメント


「かもちこちゃん」との初めての出会い。まだ、生後、3か月ほど。

​明源寺たぬき

「かもちこちゃん」。
この時、1歳3か月」

​「かもちこちゃんとお母さん。

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