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生きる意味

  • kakiholoholo
  • 2024年8月6日
  • 読了時間: 4分



自分が、この世で、生きている意味は何?



自分にどんな存在価値があるの?



自分が、この世に居ても居なくても、同じなの?



自分は、なぜ、苦しいの?



自分は、なぜ、頑張れないの?



毎日、食べて、寝て、息をしているだけ。



先が見えない苦しみ。



いつまで続くのか分からない。



なぜ、死んではいけないの?



なぜ、世の中の役に立たなければならないの?



なぜ、世の中で、何かを成し遂げなければならないの?



なぜ、立派でなければならないの?



なぜ、落ちこぼれたの?



なぜ、落ちこぼれた人間は、だめなの?



ダメな人間は、生きる価値はないの?



なぜ、自分の命を、自分で終わりにしてはいけないの?



これから先、どうなるの?



こんな自分は、一生続くの?



生きていることにどんな意味があるの?



生きていて、これから先、どんな良いことがあるの?



そもそも、何がいけなかったの?



生まれたこと自体が、間違いだったの?



望まれていない子なの?



この世に、居なくても、同じなの?



もともと、この世にいるべき子ではない子なの?



そういうことに、自分なりの答えを、見つけない限り、死に向かう。



それは、スマホでも答えてくれない。



祖師の本でも、答えてくれない。



現代には、現代の、自分に合った公案がある。



その公案の答えを、自分で見つけない限り、根本的に生きる力が出ない。



誰に頼っても、力とならない。



お金持ちになっても、満たされない何か。



寂しい。



独りぼっち。



生きていること自体、虚しい。



満たされない感じ。



神仏にお願いしても、満たされない。



その時、分かったように思えても、また、分からなくなる。



本当に、納得したと言えない。



イメージトレーニングでも、元の木阿弥。



心を鍛えたように思っても、また、迷う。



お金で買えない、虚しさ。



一貫できない。



同じでない。



応用が利かない。



うろうろ。



頭で理解したら、うろうろ。



身に附いていなければ、うろうろ。



考えているようでは、うろうろ。



スポーツ選手も、考えなくても対応できるように、繰り返し、繰り返し。



職人さんも、同じことを繰り返し、繰り返し行うことで、体に身に附ける。



そこからの自由自在。



臨機応変。



頭で理解することと、体に身に附く分かり方は、レベルが違う。



身に附いていない限り、本当の答えになっていない。



観念では、力が出ない。



イメージトレーニングでは、力が出ない。



一貫できていなければ、本当に分かったと言えない。



答えと一つになっていなければ、本当に分かったと言えない。



無意識状態でも顕れていなければ、本当に分かったと言えない。



本当に分かったと言えるまでは、心は虚しいまま。



本当に分かったかどうかは、どんな状況でも、同じ分でいられることに依って。



その答えは、人それぞれ。



その答えは、人それぞれ自分で見出さなければならないが、その答え内容は、誰が見出しても、同じ。



大脳の知らない、広く深い心だった。



変ることのない、清らかな心だった。



生まれや、育ちや、死を超えて、時代を超えて、変わらない。



隔たりのない自由。



誰もが尊い。



誰もが等しい。



優劣は関係が無いんだ。



ダメな人間はいなかった。



全てを無条件で受け止めている。



受け止めても、変わらない。



どんなに受け止めても、一杯一杯にならない。



バタバしない、静かさ。



たんたんとした時間の流れ。



調和された法則。



普遍的当て嵌まり。



誰もが同じ。



分かり合えている喜び。



心の奥底での信頼。



沈黙。



無償。



静か。



たんたん。



微かだけども、確か。



大脳理解とは違う。



同じでいられる自分を、誰もが、等しく持っている。



他に求めなくても、答えを具えている。



教祖はいらない。



仏陀も、外ではない。



神の性質、仏の性質を具えている。



例外が無いんだ。



誰もが、無条件で、気が付けるものなんだ。



生きる意味は、本来、誰もが、等しく具えている、本当の自分に帰るため。



それは、大脳理解では無い自分。



そういう自分を、イメージしたら、大脳理解。



現代社会の問題を、一つ一つ、解決していく必要がある。



それも、心の問題として。



自分の深く広い心の面から。



それが現代における公案。



表面的なことからではなく、本質的な所から。



自分なりに答えを、自分の深い心を通して見出すことが、生きる力となっている。



繰り返し、繰り返し。



その確認。



いろんな場合において。



本当に分かったと言えるか、どうか。



そこからの、自由。



大脳からの解き放ち。



本当の自立。

 
 
 

コメント


「かもちこちゃん」との初めての出会い。まだ、生後、3か月ほど。

​明源寺たぬき

「かもちこちゃん」。
この時、1歳3か月」

​「かもちこちゃんとお母さん。

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